お疲れ様です。ヒシャクです!
最近はよく「やりたいこと」や「夢中になれること」について考える瞬間が多いです。
私はよくストリーマーやyoutubeを見たりするのですが、成功している人たちを見ていると、みなさん共通してお金のためには活動をしていないんですよね。
自分の「やりたい」を突き詰めた先に、お金がついてきたという印象です。
その姿勢に強い憧れを抱くとともに、自分の理想とする姿となりました。
今はまだ、何に夢中になりたいかもすらもわからないずに迷走状態ですが、いつかは一心不乱に取り組める何かを見つけたいですね!
というわけで今回は、「やりたいことをすることの難しさ」についてです!
「やりたいことをやればいい」
そんな言葉を聞くと、私は少し考えてしまいます。
やりたいことをやる。
言葉だけなら、とても簡単そうです。
でも実際には、そう簡単ではありません。
私は最近、「何かに夢中になれるものを見つけたい」と考えるようになりました。
歌がもっと上手くなりたい。
ブログを書きたい。
本を読みたい。
最近はAIについて調べるのも面白い。
興味のあるものはいくつかあります。
それなのに、なぜか迷ってしまうのです。
「やりたい」と「やったほうがいい」
私が今、お金に不安を感じているのには理由があります。
奨学金の返済があり、来年からは住民税の支払いも始まります。
数年後には今受けている家賃補助もなくなります。
そして、いつかは結婚もしたい。
そう考えると、今よりお金が必要になることは目に見えています。
だから、「今のうちに副業を始めなければ」と思うようになりました。
収入を増やしたい。
スキルを身につけたい。
経験を積んで、将来の選択肢を増やしたい。
でも、ここで困ってしまいます。
「やってみたい」と思える副業が、なかなか見つからないのです。
AIには少し興味があります。
だから調べています。
でも、「本当にこれがやりたいのか?」と聞かれると、自信がありません。
一方で、歌については「もっと上手くなりたい」という気持ちがあります。
でも、歌で将来お金を稼げるとは思えません。
そう考えると、
「歌を練習するより、将来役に立つことをやったほうがいいんじゃないか」
と思ってしまうのです。
「これは何の役に立つんだろう」
最近、そんなことばかり考えている気がします。
ブログを書いていても、
「この熱はいつまで続くんだろう」
と思ってしまう。
本を読んでいても、
「これが何かの役に立つのかな」
と考えてしまう。
やりたいことを探しているはずなのに、いつの間にか「将来役に立つこと」を探している。
そんな自分に気づきました。
そんなとき、以前読んだ『ひゃくえむ。』を思い出しました。
この作品には、100mを走ることに人生を懸ける人たちが登場します。
彼らが走る理由は、それぞれ違います。
勝ちたい。
認められたい。
速くなりたい。
走りたい。
きっと「100mを走ることが将来役に立つから」という理由だけではありません。
それでも、彼らは走ります。
その姿を見ていると、
「夢中になるって、こういうことなのかもしれない」
と思います。
「やりたい」を正当化しなくてもいいのかもしれない
もちろん、生活があります。
お金も必要です。
だから「好きなことだけやればいい」とは思いません。
私だって、副業をして収入を増やしたいと思っています。
ただ、「将来役に立つかどうか」だけで、自分のやりたいことまで判断してしまうのは、少し違うのかもしれません。
歌が将来お金にならなくても、もっと上手くなりたいと思っていい。
ブログの熱がいつ冷めるか分からなくても、今楽しいなら書いてみていい。
AIへの興味がいつまで続くか分からなくても、今面白いなら調べてみればいい。
ずっと続けられるかどうかは、続けてみなければ分かりません。
だから私はこれから、「これは将来何の役に立つんだろう」だけではなく、
「今の私は、これをやってみたいと思っているだろうか」
という問いも大切にしてみたいと思います。
まだ私自身、答えは見つかっていません。
でも、将来のために何かを頑張ることと、自分がやりたいことを大切にすること。
その二つは、必ずしもどちらかを捨てなければならないものではないのかもしれません。
あなたにも、将来何の役に立つかは分からないけれど、それでも「やってみたい」と思うことはありませんか?
おまけ
私は特別な才能があるわけではない。ただ、情熱的な好奇心を持っているだけだ。
アルベルト・アインシュタインの名言です。
聞きなじみがある方もいらっしゃるのではないでしょうか?
夢中になることで生まれるエネルギーが、どれほど強力なものかがこの一文でよくわかりますよね…!


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