お疲れ様です。ヒシャクです!
最近、仕事でミスをして、注意を受けることがありました。
言われたことは正しく、自分でも分かっていたことでした。それでも、その言葉は思っていた以上に心に刺さりました。
そんな経験をきっかけに、以前読んだ小説のことを思い出しました。
今回は、そこから考えた「言葉の持つ力」について書いてみたいと思います。
📝 何気ない言葉が、心に残ることがある
皆さんは、誰かの何気ない一言に傷ついた経験はありませんか?
言った側は、もう覚えていないかもしれない。
けれど、言われた側は、ずっと覚えている。
そんなこともあるのではないでしょうか。
以前、辻村深月さんの『噛みあわない会話と、ある過去について』という小説を読みました。
この作品を通して、何気なく発した言葉や、自分にとっては些細な経験であっても、受け取る人によっては、その後の人生に大きな影響を与えることがあるのだと感じました。
そのことに気づいたとき、私は少し怖くなりました。
自分が誰かに言った言葉を、すべて覚えているわけではないからです。
自分では何とも思っていなかった言葉が、知らないところで誰かを傷つけていたとしたら。
そう考えると、過去の自分の言動まで気になってしまいました。
💭 大切な人だからこそ、怖くなる
私はもともと心配性で、臆病なところがあります。
人と接するときにも、なかなか心を許せず、壁を作ってしまうことがあります。
だからこそ、あまり親しくない人との関わりでは、ある程度距離を保てているのかもしれません。
一方で、家族や友人のように親しい人に対しては、どうでしょうか。
仲が良いからこそ、遠慮なく話せる。
冗談を言ったり、少しきついことを言ったりすることもあると思います。
自分では、これくらいなら大丈夫だろうと思っている。
けれど、本当にそうなのでしょうか。
自分にとっては何気ない言葉でも、相手が気にしていることに触れていたかもしれません。
自分では問題ないと思っていたからこそ、相手が傷ついていたことに気づけなかった可能性もあります。
しかも、言った本人は、その言葉を覚えていないかもしれない。
そう考えると、知らないうちに大切な人を傷つけていたのではないかと、不安になります。
😔 自分の中の嫌な部分とも向き合う
もう一つ、私には怖いと感じることがあります。
私は、人が気にしていそうなことを、なんとなく察しているつもりになることがあります。
それが本当に相手の気持ちを理解できているのかは分かりません。
それでも、相手が気にしているかもしれない部分に気づくことはあります。
だからこそ、感情的になったときに、その部分を突くような言葉を口にしてしまったことがあるのではないかと思うのです。
普段なら言わないようなことでも、怒っているときには相手を傷つけるために言ってしまう。
そして、時間がたてば、自分が何を言ったのかさえ忘れてしまう。
もちろん、実際にそうしたことがあったと決まったわけではありません。
それでも、その可能性を完全には否定できないことが怖いのです。
自分の中には、相手を思いやれる部分もあれば、感情に任せて誰かを傷つけてしまう部分もあるのかもしれません。
だからこそ、自分は大丈夫だと簡単に決めつけずにいたいと思います。
🌱 言葉を恐れるだけでなく、向き合っていく
ここまで考えると、誰かと話すこと自体が怖くなってしまいそうです。
何を言えば相手が傷つくのか、完全に理解することはできません。
どれだけ気をつけていても、意図せず誰かを傷つけてしまうことはあると思います。
だからといって、何も話さずにいるわけにもいきません。
大切なのは、自分の言葉が相手に与える影響を想像すること。そして、もし誰かを傷つけてしまったと気づいたときには、相手の気持ちに向き合うことなのだと思います。
自分が正しいと思っているときも、感情的になっているときも、相手にも自分と同じように気持ちがあることを忘れない。
私自身、まだまだできていないことばかりです。
それでも、自分の言葉が持つ力を知ったからこそ、これからはもう少し慎重に、そして思いやりを持って言葉を使える人になりたいと思います。
皆さんは、自分の何気ない一言が、誰かを傷つけてしまったかもしれないと考えたことはありますか?
また、今でも忘れられない誰かの言葉はありますか?
よければ、皆さんの考えも聞かせてください。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
おまけ
「人はあなたが何を言ったか、何をしたかは忘れるかもしれない。でも、あなたにどう感じさせられたかは決して忘れない。」
— マヤ・アンジェロウ(として広く紹介される言葉)
自分にとっては何気ない一言でも、誰かの心には残り続けているかもしれません🤔
だからこそ、言葉を発するときには、その先にいる人の気持ちも少しだけ想像してみたいですね。

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